あしたできることはあしたやる

Put off till tomorrow what you can do tomorrow

13日ぶり4回目

 初めから言い訳的に今回は三日坊主にはならんとか言い出す人の例に漏れず早速出家を免れなさそうな状況になってるんですけど実は書きかけのエントリがもう5個ぐらいあってその気になればすぐアップできる気もするんでもう少し世俗を満喫させていただきたいんですけどよくよく考えたら三日坊主って3日で坊主を辞めるって意味なのでなんか根本的に間違ってたようです。

 

 で、何書こうかなと思ったんですけど個人的には大きいイベントがあるので意味なく告知でも。

 明後日の7月7日土曜日から14日までの8日間堺のJ-GREEN堺っていうサッカー日本代表も合宿したりするところでWUGC(World Ultimate & Guts Championship)っていうアルティメットとガッツの世界大会が開かれます。暇で暇で暇で仕方なかったら行ってみるといいかもしれないですね。ほぼ毎日僕現地にいますんで。犬のようにフリスビー追いかける大柄の白人(貶してるわけではない)とか、マッチョマンが思いっきり投げたフリスビーを片手で受け止めようとする馬鹿野郎(これも愛情の裏返し)とか、普通の生活してたら一生見られないかもしれないものがみれますよ(たぶん)。EURO終わって見るもの無くて燻ってるスポーツ大好き人間とかは来ればいいと思います(そんな人はツール・ド・フランスでもいいと思う)。

 アルティメットとかガッツとか知らない人(知らない人の方が多い)はなんかフリスビー使ってやる団体スポーツだと思っといてください。そういえば前々から思ってたんですけど個人的には音楽クラスタとフリスビーっていうのはお互い円盤が中心的な役割を担ってるってところで案外親和性が高いんじゃないかなとか思ってます(無茶苦茶)。

 関係ないけど水星いいよ水星。

蝶のこと

 時々思い出すことがある。蝶のことだ。

 記憶に登場する先生から考えるに、おそらく小学校3年生のときのことなんだろうけどもう15年ぐらい前のことなので他の記憶と混じっているのかもしれない。それに、これもおそらくなのだけれど2回か3回同じようなことがあって全部違う年に起こった気がするしもっと小さい頃、つまり1、2年生の頃な気もしている。いろいろと記憶が曖昧なのでもしかすると夢だったのかもしれない。本当はあの頃の友人に会った時にでも聞いてみればいいのだろうけど、何故か毎回その時には忘れてしまっている。

 小学校の頃、集団登校をして学校に着いたらまずグラウンドで遊んでいた。余談になるけれど僕達のクラスではその遊びとしてキックベースが定着していた、朝も昼も休み時間は毎回キックベースだった。キックベースってのはサッカーボールでやる野球みたいなもんで、23人しかいないクラスの全員が参加することもあった気がするしチーム分けを巡って誰かが泣いたような記憶もあるから僕たちは相当の熱意をもってキックベースに励んでいたんだと思う。そのキックベースが蝶の記憶には出てこない。記憶の中ではたぶんサッカーをしていた。キックベースをやり始めたのは3年生か4年生かその頃なので蝶の記憶はそれ以前のものなんだろう。

  そう、サッカーをしていた気がする。蝶の上で。

 文字通り「蝶の上」でサッカーをしていた。正確に言えば大量の蝶の死骸を踏みつけながらサッカーをしていた。秋の木の葉のように舞う蝶の死骸は、記憶の光景から考えると数百匹分はあったのだろう。白と黒の筋模様の羽の美しさと死骸が持つ独特の神聖さとが相まってその光景は未だに僕の中で恐ろしく美しい記憶として残っている。

 果たして本当にこんな事実があったのだろうか。あの数も信じられないし、大騒ぎにならなかったのもよくわからない。しかも記憶ではこんなことが複数回あったのだ。それに蝶の死骸を踏みつけるというのも今考えればと忌避感を覚えるような行為だ。でもまあこれに関してはそのぐらいの年齢の子供は蟻を平気で踏み殺したりするし、個人的な記憶としては幼稚園の頃に友達がカマキリをハサミで切断して断面が赤かったのを見てたりするので蝶の死骸を踏みつけるというのもあながち抵抗なくできる年齢だったのかもしれないとは思う。

 ただ、そんなことは関係なく僕は実際にあった出来事だと思っていた。疑おうと思ったことがなかったから。この記憶が揺らいだのはつい何年か前のことだ。僕は3つ下の妹も同じ小学校に通っていたし当然このことを覚えてると思っていた。それで何かの拍子に蝶の記憶を思い出した僕は妹にその話をしたのだ。しかし妹は覚えていない、妹が小学校に上がる前だったのだろうか。母にも聞いてみる、そんなことを聞いた覚えはないと言う。父も知らないらしい。そんなことをわざわざ聞きに旧友に電話するのも腰が引ける。さて僕の記憶は急に揺らいでしまった。よくよく考えると変な事が多い。夢だったんじゃないかとか、アメリカにいる大量の群れを作って渡りを行う蝶の話を聞いて何かと記憶が混ざったんじゃないかとか出来るだけもっともらしい理由を探してみたりした。が、イマイチ納得のいく理由は浮かんでこなかった。逆に真実であるという証拠を求めてそれっぽい蝶を調べてみたりもした。しかしそれも見当たらない。そこで僕は考えるのをやめてしまった。もう一度記憶を頭の奥底にしまいこんで真実かどうかなんてことにこだわるのをやめにしたのだ。

 それから今まで、事あるごとに蝶の記憶が思い出される。似たような肌寒い朝であったり、ふとアゲハ蝶を見つけたときであったり、そうした何でもないようなときにこの不思議で美しい記憶が浮かんでくる。僕はそのたびに記憶をひと通り疑ってみたりして、そしてすぐその思考パターンはもう過去にやり尽くしたことに気づく。今日もそうだった。ユーロの試合を6時頃まで観て、少し部屋が蒸し暑いなと思い窓を開けて早朝の冷たい空気を感じた瞬間蝶の記憶が浮かんできたのだ。それでちょっと考えてブログに書こうと思った。

 

 初めて蝶の記憶を文章にした。今まで何度か書こうとしたことはあったのだけれど。何というか、今まで取っておいたのだ。もし小説か何か書くことがあればこの話を書こうと思っていた。でも小説を書くことなんてこれから先ない気がするし、それにそろそろ書いておかないととも感じた。たぶんこれ以上寝かせるともっと記憶が変化して腐ってしまう、そんな気がした。記憶のときからたぶんだいたい15年、いい頃合いだと思う。そろそろ確かめてみよう。小学校の頃のクラスメートに何人か電話して聞いてみて誰も覚えていなかったら、やっぱり本当は無かったことということなのだろう。

 あの朝もこんな湿った曇り空だったような気がする。こうやって記憶はどんどん改竄されてきたんだろうか、そんなことを考える。そろそろ大学に行こう。1限は遅刻だ。

 

 

 

 

タワーレコードでCDを買った

 この間、久々にタワーレコードに行った。大阪梅田の茶屋町にあるタワレコだ。

 リニューアルして縮小してからは初めてだったので半年ぐらい行ってなかったことになるのだろう。行ってみてエレベーターで登るときにタワレコが2階分ないことに気づき、エレベーターから降りて実際に1フロアしかないことを確認して少し驚いたのだけど、そういえばそんな話を聞いた気もするし、おそらくその時にはそんな話をtwitterでRTしてたにも違いない。そういえばタワレコはドコモに買われたんだったな、落ち目のCD屋なんか買って最近叩かれてばっかのドコモは本当にコンテンツ屋になれると思ってるんだろうかとか考えながらCDを見てた。

 ここのところずっとTLには違法ダウンロード刑事罰化とDVDリッピング違法化のことが流れていた。ネットでもリアルでも怒ってる人や批判する人はいたし、問題があることもわかるが最早止められない流れな気がしてならない。複製作品を買うとは一体どういうことなんだろうとか考えながら僕はCDを選んだ。6000円以上でポイント2倍らしいので6000円以上になるように、でもお金があんまりないのでギリギリを狙ってCDを選んだ。金がないのにわざわざ梅田まで行ってタワレコでポイントを気にしながらCDを買うということにいろんな矛盾が孕まれていることは無視して買い物を済ませた。

 ここ何ヶ月かはクラブ取り締まりと風営法の問題に関する議論も話題になっていた。音楽文化と産業は今までも何度も経験してきたであろう過渡期をまた迎えているんだろうなとか思いながら家のデスクトップのiTunesでCDを取り込んで無線でMacとiPod touchに同期した。

 

 4年前も茶屋町のタワレコでCDを買った。当時、後期試験でたまたま滑り込んだ大学に嫌々ながら入った僕は授業にも出ずにアパートの布団の中で延々タワレコで買ったCDを聴いて、空腹か尿意が我慢出来ないところまで来たら行動を始めるというこれ以上ないぐらいの自堕落で甘美な生活をしていた。親から振り込まれた生活費、詰まるところは奨学金から2万も捻り出して買ったそのCD達は皆繰り返して聴くのに十分な素晴らしさだったしキラキラ輝いていた。

 その中の1枚を出したバンドのCDを今回も買った。

 「魔法のバスに乗っかってどこか遠くまで」なんて歌ってたおっさんが今では満員電車に乗ったサラリーマンの歌を歌ってる。バンドもやっぱり前に進むんだなとか適当なことを思う。部屋で寝続けて週に2回グラウンドでフリスビーを投げるだけの生活を送っていた僕も、その後それなりには学校に行くようなったし今では何となく勉強したいこともできた。少しは前に進んだ気がしなくもない、でも数少ない友人たちであったサークルの同級生たちは卒業して就職するか大学院に進学しているし、そんな同世代と比べたら僕はやはり何周か遅れてしまっている。

 あれから4年、もう少しうまくやって今頃卒業して就職していたらこの曲がもっとバシッとど真ん中ストレートで来ていたに違いないとかまた適当なことを思いながらそれでも僕はおっさんの歌声を聴いている。何年後かに来るであろうそんな日から逃げながら、そしてほんの少しだけ望みながら。魔法のバスにも片足を突っ込んだままで。

 

 

© 2014 G.Kono