ボスラッシュ
最近は善く生きるとは結局なんなんだろな、ということを時たま考えている。輪廻や宗教を信じない人間が、快楽以外を生の基盤とすることが果たして可能なのか、みたいな。僕の中にいる直感と偏見とが手をつなぎながら「違う道があるはず」と囁くのだけど、それはいまいち信用できないでいる。
その二人はどうも、プラグマティズムや功利主義や快楽主義ではないやり方で僕に生きてほしそうにしていて、でもそれはエピクロスやベンサムやミルや、あと20世紀アメリカの哲学者達を殴り倒せっていう話だと思うんだけど、何そのボスラッシュ。無理じゃないですかねー。と思って何かいろいろ読んでたら柄谷行人がこんなの書いてた。
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-42.html
え、カントとダーウィンとマルクスもそっちに入るんですか。そうですか。